移住者体験談


大阪市内から家族で移住

中島憲明さん(仮名)36歳 リモートワーク 

32歳 長女4歳 次女2

会社のリモート化を機に淡路島へ移住

 

以前から移住に興味を持っていました。もともと都会育ちの私は、町で遊ぶよりもアウトドアが好きで、休日になれば友人や彼女()と釣りやキャンプに出掛、自分もいつかは自然の多い田舎暮らしがしたいとひそかに思っていました。

そして妻と結婚し長女を授かりました。仕事に育児と追われる中、いつしか趣味のアウトドアにもなかなか時間が作れず、また来年また来年と妻や友人と話しながら、時間は過ぎ去っていき、次女を授かりました。

妻とは「次のキャンプは3年後やな()」と話していました。

もちろんキャンプには行けませんが最高に幸せな人生でした!

 

 

そんななかテレビで淡路島特集をやっているのを見て、妻が急に「淡路島なら大阪から車で一時間少しやし、自然もあるし、子供が遊べるところもたくさんあるしフラッと遊びに行こう」と言い出し、久々にプチアウトドアをすることになりました。

 

大阪市内から車で約一時間、明石海峡大橋を渡るとそこはまさに別世界

目の前に広がる青い海、どこまでも続く空、青々とした山々。久しぶりの大自然に私も妻も大興奮()

早速、淡路島の名物のシラス丼を、【道の駅あわじ】にて食べたときにこんなに美味しいシラスがあったなんてと感動。

つづいて子供たちの為に国営明石海峡公園を散歩。こちらはペットも一緒に入園できるので、多くの方がペット連れでした。

子供が遊べる施設も充実していて、帰るころには2人の娘も車でぐっすりでした。

すっかり日も暮れて、大阪への帰路、明石海峡大橋を渡っているときに妻が「こんなところで子育てができればな~」とつぶやきました。

 

同じことを考えていた私も「そうやな~」と、なかばあきらめモードで返事をしました。

 

しかし、それからもあきらめきれなかった私は淡路島の移住支援制度や補助金について調べていました。
すると淡路市、洲本市、南あわじ市の3市それぞれに独自の補助金制度や、移住を支援してくれるNPO法人などたくさんのサポートがあることを知りました。

何より一番驚いたのは淡路島では待機児童がゼロということでした。子育て世代の私たちには、とても魅力的でした。早速その日の夜に妻に話しました。妻も手厚い支援制度や待機児童ゼロには驚いていました。なんとなく夫婦の中で「移住しちゃう?」という雰囲気になってきました。しかしここで大きな問題は仕事でした。

 

淡路島には意外と多くの求人があることも知っていました。しかし大阪市内のIT関連の仕事に就く私は今の仕事にとてもやりがいを感じていましたし、責任のある立場も頂いていました。

   会社のリモート化で移住を決意

「やっぱり今すぐ移住は無理か…」と思っていた時、昨今の新型コロナウィルスで会社がリモート化することになりました。

この1年以内に大阪市内のオフィスを縮小化し在宅勤務をメインに会社の方向を転換することになり。私もその対象になりました。

最初のうちは週2.3回の出勤で次第に月一回程度、最終的には0出勤を目指すというのです。

これは淡路島に移住を考えていた私たち家族には朗報でした。

会社としてはたとえ今後コロナ禍が収まったとしてもリモート化の流れは変えない。とのことで、私たちの決意は固まりました。

淡路島だと万一オフィスに出勤するとなっても車で1時間30分、お互いの両親も大阪府内なので、気軽に会いに行けるし、梅田駅から直通バスで約1時間(1250円程度)なので両親がこちらに来るのも簡単!

移住で一番大切なのは住居選びと環境

諸々の条件をクリアした私たちは「よし移住しよう!」となりましたが、実際に何から手を付けていいかわからず、インターネットでいろいろ検索していました。

 

するといろいろなサイトが出てきました。

淡路島の移住を斡旋しているNPOさんや、企業、各市の制度などどれも魅力的でしたが、私たちが最終的に選んだのは、バリュークリエーションさんの【IJYU淡路島】でした。

その理由は、一番心配していた住居選びに関して、とても分かりやすく、アドバイスをしていただき。私たちの生活スタイルや、今後の未来予想を踏まえ、住む地域や、環境、地元の人々との関わり方など物件以外のことも丁寧に相談に乗って頂き、地元NPOさんや市役所との連携も密にとって頂き。使える補助金や支援制度の申請も手伝っていただきました。

お家選びの際も、その物件のいいところ、悪いところをはっきりと教えていただき。

書面にまでしていただき、とても信頼できました。

憧れだった海の見える家

いま私たちは保育所からも近く、買い物にも便利な、海の見える戸建に住んでいます。

週末は自宅の庭で、大阪から遊びに来た友人とBBQをしたり、趣味の釣りを楽しんでいます。

近隣の方はとても親切で、子供の落し物を我が家まで届けてくれたり、畑で取れた玉ねぎを持ってきてくれたりで、玉ねぎ嫌いだった長女は「○○のおばちゃんの玉ねぎおいしい」とまで言ってます(笑)

 

この恵まれた環境の中で、子育てができ、人生を送れることに感謝して、私たち夫婦も淡路島や地元の方になにか貢献できないかと日々模索しています。

 

 

これから移住される方へは、一番大切なのは住む場所と地域です。自分たちに合った物件選びが永く楽しい移住生活を送るには必須です。ご自分で色々悩んでるなら一度【IJYU淡路島】さんに相談してみてください。


大阪府内から家族で移住

西川智也さん(仮名)34歳 

イタリアンレストランオーナー 

30歳 長女5

私が淡路島で伊レストランのオーナーになるまで

 

調理師の専門学校を出て、20代のころから大阪の北新地で、イタリアンレストランの厨房スタッフとして働いていました。

そんな私が淡路島に移住してイタリアンレストランを開店させるに至ったきっかけは、旅行でした。

日ごろから勉強のために旅先のレストランや小料理屋によく行くのですが、淡路島でも数件のお店を回りました。

その時気が付いたのは、どこのお店に行っても美味しいということです。大阪の一流店にも劣らない味、もちろん料理人の腕の良さもあるのですが、私が一番驚いたのは素材の良さです。野菜や魚はもちろんですが、肉も旨い!それも鶏肉、豚肉、牛肉全て旨い!」聞くところによると淡路島では畜産も非常に盛んで、それぞれ淡路島ブランドがあるほどで、牛肉に関しては、淡路ビーフというこだわりの黒毛和牛種があり、とても感動しました!

そのときに数年前に1年ほど修行で訪れたイタリアを思い出しました。

この食材の良さは本場イタリアにも引けをとらない、むしろ日本人の口にあうイタリアンを提供するには日本でここ淡路島以外にないのでは…!とまで思うようになりました。

そして何より淡路島の雰囲気もとても気に入ってしまい。これまで田舎暮らしに全く興味もありませんでしたが、いつしか私の頭は淡路島でレストランを…と思うようになっていました。

しかしなかなか妻には言えずにいました。「娘も小学校に通うようになるし、本当に田舎でお店を開店してお客さん来るの?」といわれるのがオチだと思っていました。

あきらめきれない淡路島でのレストラン開業の夢

 

なかなか夢を捨てきれない私はネットでバリュークリエーションの【IJYU淡路島】を見つけ連絡をしました。

まだなんの決意もできていない私に、担当の幸田さんは「心配しないでください、できる方法を一緒に探しましょう!と言ってくれました。

 

私はまず淡路島で店を開業するのに、心配なことを列挙していきました。

すると幸田さんは「まず初めにイメージしてください」「自分はもちろん奥さんや娘さんが淡路島でどんな生活をするか…」

「そしてそれが自分やご家族にとって本当に幸せなことなのか?

「そうはっきり思えたら奥さんを必ず説得できます。」「どうですか?」

 

私はこれまでも散々想像してきましたが、再度その場で考えました。

旅行の時に出会った淡路島の親切な人々、大自然、環境。「都会に住み、働き、子育てをする。都会には何でもあるが、実は何もない…。淡路島には自然以外なにもないかもしれない。

でもだからこそなんでもあるし、なんでも出来る!」「この豊かな自然と人々の下で自由にのびのびと家族の時間を過ごしたい!絶対幸せになれる。いや幸せにする」と強い決意に変わりました!

 

それからは全ての不安要素が次々に解決していきました。

古民家を利用した店舗付き住居

先ず店を出す地域、これに関しても【バリュークリエーション】と提携している地元のマーケティングに優れたコーディネーター観光客や近隣の施設を調査し最適の場所を提案していただきました

次に物件選び、庭付きの古民家で住居スペースと店舗スペースをと思っていました

古民家選びはとても重要で、判断を間違えると取り返しのつかないことになるので」と担当の幸田さんは物件選びには私よりも慎重に内見をして下さり宅地建物取引士として契約内容の重要事項説明も丁寧にしていただきました。

そしてリノベーションに関しては日本家屋を活かしつつイタリアンのテイストも出したい。

この要望にも大阪と淡路島に拠点を持つリフォーム業者さんを紹介していただき、内見の際にも同行し「ここをこうするとこれぐらい費用が掛かる」などその場でいろいろとアドバイスをしてくださいました。

そして最も重要な食材の仕入れ先も地元コーディネーターさんが家さん漁師さん卸肉業者さんなどを直接紹介していただき、新鮮でおいしい食材の確保が可能になりました。

想像以上のきめ細かい手厚いサポートで安心して移住ができた

その頃には妻も移住に関して、賛成してくれ「どうせ移住するなら娘が小学校に行く前」にとゆってくれるようになっていました。

そこで幸田さんに淡路島の子育て支援について聞くと、大阪に拠点がある淡路島のNPO法人を紹介していただき、そこでもまた親切丁寧にアドバイスを頂き、妻もこれなら安心して移住できると喜んでくれました。

都会から田舎へ移住するというのは簡単なことではないと思います

しかしサポートしてくれる人たちがいると事情は変わっていきます

自分が思い描いた夢を実現するために多くの人たちが、手を貸してくれ、時には自分よりも慎重に考えアドバイスをしてくれる。そんな人たちと家族のおかげで、私は淡路島にお店をOPENすることができました。

 

昨今のコロナ禍ではありますが、私のほかにも多くの移住者さんが増え、地元の人々の助けもあり、お店は何とか営業できています。早くコロナが収まり観光客が戻ってきてくれるのを心待ちにしています。

淡路島で飲食店を開業したいとお考えの方へ

淡路島は食材も豊富で都会に比べると値段も安いです。和食は当然ですが、最近ではCAFÉやフレンチレストラン等多くのお店が開業し賑わっています。

そんなにいっぱいお店があると競争率も激しいと思うかもしれませんが、それ以上に観光客の方が来られます。もちろんどんなお店も流行るわけではありません。

それなりの工夫と努力が必要ですが、淡路島で開業するのに一番大切なのは人だと思います。近隣を大切にし、同業者を大切にし、もちろんお客様を大切にする。

これさえあれば、淡路島で食いっぱくれることはない(笑)といわれています。

私も本当にそう思います。人を大切にする自信のある方は是非淡路島での開業をお勧めいたします。

「何故ライバルを増やす?」と思われるかもしれませんが、いいお店がたくさんできれば、そのぶん淡路島に観光客も増えます。

 

淡路島の多くのお店はみなさんそう考えています。


大阪府内から移住

安井隆さん(仮名)29歳 建設業 独身

淡路島で自分探し

 

僕が淡路島へ移住を決めたきっかけは実家の稼業が倒産したからです。

高校を卒業しそのまま実家の工場を手伝っていましたが、いろいろあって会社は倒産、父と母は年金で暮らしていけるし、兄は銀行員なのでなんの影響もない。しかし僕は27歳で無職になりました(笑)

 

もともと自由人だった僕は家業を手伝いながらもお金がたまると国内外問わず旅行に出かけていました。1か月ぐらい帰らない時もありました(笑)

しかし実家の倒産は流石に焦りました…しかも当時僕は27歳。

就職といってもなにがやりたいかわからないし…といろいろ考えていたら。

やりたい仕事がないなら、住みたいとこに住んでそこで何やるか考えようと思い。

前から数回訪れて、住むならここと決めていた淡路島で漁師でもしようと何の計画も立てず足を運びました。

行けば何とかなると思っていましたが、物件探しもうまくいかず、仕事探しもどこの馬の骨かわからない人間を漁師にしてくれるような人はおらず。

とりあえず大阪に戻りました。

 

 

 

淡路島では人と人のつながりが大切

そして次回はちゃんと計画を練ろうと決め、ネットで色々検索をしているうちにバリュークリエーションさんのIJYU淡路島】を見つけ相談にいきました。

色々話を聞いていると淡路島には賃貸物件も仕事も実はたくさんあが、○○の紹介できた、というのがとても大切で、いきなり行って、物件を貸してくれてたり、仕事を紹介してくれたりはしないということでした(笑)

そこでまず担当の幸田さんが進めてくれたのは淡路島内にある 【お試し移住体験】の施設でした。

一泊2,000円程度で泊まれる物件から、1,500円程度のシェアハウスまでいろいろあり、その中から僕に合ったものをチョイスしてくれ手続きを行ってくれました。

 

 そして仕事に関しても数件紹介していただき、その中で自分に合っていそうな今の会社を選び働いています。

一つ一つの出会いがとても大切に…

会社の社長や上司、先輩はみんな何というか、いい意味で兄貴的というか、社長なんかは 「ちゃんとめし食ってるか!?」とほぼ毎日、夜ご飯をごちそうになります(笑)先輩たちも早く彼女をつくれと夜のスナックに連れ出してくれたりと毎日楽しい日々です。

現在、住居はバリュークリエーションさんに紹介していただいた、海の見える2LDKマンションに家賃41,000円で一人暮らしです()

出会いは確かに都会と比べると少ないです。合コンなどはほとんどありません。たまにあっても知り合いの知り合いとかで…()そこが僕にとって唯一の淡路島移住のデメリットかも。しかしその分一回一回の出会いがとても大切に思えます。女友達は大阪にいる時よりも増えたかも()

 週末になれば、大阪の友達もよく泊まりに来ます。車で約一時間少しとなれば、プチ観光気分なんでしょうね。最近はこの辺りも移住者さんがやってるBARやスナックが増えてきて都会にはないアットホームな雰囲気で友人も気に入っています

 うちの会社もそうですが、淡路島の多くの会社では兼業やアルバイトが認められているので僕も最近は週末だけ友人のBARを手伝っています。半分出会い目的で…()

大阪からの週末移住でおすすめは絶対淡路島!

まだ永住は考えていませんいまはそういう時代ではないと思います。

まだまだ自分を探しているというか…でも淡路島は最高に居心地がいいのは確かです。

都会までのちょうどいい距離違う自然を味わいたいときは反対側の大鳴門橋を渡ればすぐに四国です

 淡路島で独身や単身で移住される方にお勧めの地域はやはり洲本市だと思います。

南あわじ市もおすすめですが、やはり遊ぶところが多いのは洲本市かもしれません。

ですが、最近の淡路島の発展はすごくて、今ではあちこちにおしゃれなお店や施設がたくさん出来てきているので、そこまで神経質にならなくていいかもしれません。

 週末移住でお勧めなのは淡路市ですね。大阪から早くて1時間少しなので、頑張れば通えます!

 

淡路島で働きたい方へ。

意外と仕事や求人もたくさんあります。業種も様々で事務職や営業職、介護福祉、自動車整備など最近はIT関連企業も淡路島に本社を置いたりしていますので仕事には困らないと思います。ですが無計画はだめです()

 

 

淡路島の地元にコネがあり、ネットに公開されていない求人情報を提供してくれるバリュークリエーションさんに気軽に相談してください()


大阪府内から移住

太田将さん41歳【農業】 

()慶子さん36歳【介護】 

長男8歳 長女5歳 

息子のいじめがきっかけ、背中を押してくれたのは友人家族

 

大阪では町工場の責任者をしていました。

旋盤加工といって金属を削って加工していく工場です。高校を卒業と同時に入社し39歳まで働きました。

自分はこのままこの工場で定年を迎えるものだと思っていました。

しかし僕の心にずっとくすぶり続けている一つの思いがありました

それは自然豊かな淡路島で家族がのびのび生活するという夢でした

 妻は「田舎暮らしはちょっと…」と言っていましたが、そんな妻の心を動かす、ある出来事がおこります。

それは息子の不登校です。

 

小学校入学当時は友達もでき、元気に明るく登校していました。しかし1年生の終わりごろから「学校に行きたくない」と言い出しました。

訳を聞いても言わず。学校の先生に相談してもきっちとした返答がありません。私も妻もどうしたらいいのか悩んでいました。

 

そんな折、淡路島で農業を営む友人の斎藤くんから連絡があり、次の週末に農作業を手伝ってほしいと頼まれ、以前から何度か手伝った経験のある私たちは「気分転換に行こう」ということになりました。

妻が娘と斎藤くんの次男のお守をしている間、私と息子、斎藤くんとその息子(9歳)で農作業をしていると息子の顔がどんどんと明るくなっていくのがわかりました。

子供たち同士でなにやら楽しそうに話しながら、お手伝いをする姿に、涙があふれてきましたそれを見た友人は驚ていましたが、私は全てを打ち明けました。

すると友人はあっけらかんと「太田君、淡路島に移住して一緒に農業をやろう!」と言ってくれました。

私は今すぐにでも移住したいと思いました。その日の夜、私たち家族と斎藤くん家族で食事をしている時に思い切って妻に僕の気持ちを打ち明けました。

 

すると友人の奥さんが諭すように妻に話してくれました。

「いじめや不登校はどこの地域にもあるかもしれない。でも淡路島では親と先生そして親同士の距離が都会に比べ近いと思う、お互いでよく話し合いどうすれば解決できるか。それも含め親から子への教育だと考える人も多いから。子供にとってはとてもいい環境かも」

「それに慶子ちゃんは介護士でしょ、淡路島にも老人ホームや介護施設が多くあって常に求人募集しているから、仕事には困らへんよ()

この話を聞いて妻の心も決まったようでした。

妻が長男と次女に「ここで暮らしたい?」と聞くと二人は元気いっぱいに「うん!」と返事をしました。

その時のことは一生忘れません。私と妻はもちろん、斎藤くん家族まで一緒に泣いてくれました()

 

 

それから大阪へ戻った私たちは、ネットで地方移住に関するあれこれを、調べまくりました。

「やっぱり大切なのは物件選びか~」

地方移住の失敗例で一番多いのは、住居となる物件選びでした。特に何年も放置された価格の安い、古民家や築年数の古い物件は素人が内見してもなかなか正しい判断がつかない。不動産取引の契約時に重要事項として説明を受けるのですが、その際も専門用語が飛び交い、何となくしか理解しないまま契約してしまい、後々トラブルになることが多いようです。

 

そこで私たちが注目したのはバリュークリエーションさんの【IJYU淡路島】でした。

理由はいくつかあるのですが、まずは母体が大阪中央支部所属のプロの不動産業者さんということ、しかも1000社以上が所属する中央支部の副支部長を務め、契約内容等のコンプライアンスを重視しているということ。資格を持った、宅地建物取引士が内見に同行し買主の立場に立った適切なアドバイをしてくれるということ。

また希望すれば提携しているリフォーム業者さんが内見に同行し料で物件の状態を査定してくれるサービスもあり。

 

「これなら安心!()」と思えました。

実際にバリュークリエーションさんに紹介いただいた古民家を担当の幸田さんとリフォーム業者さんと見に行きました。

リフォーム業者さんは見たこともないような道具をいっぱいだし何やらいろいろ調査してくださり。建物のゆがみや、白アリ被害、屋根の雨漏り状況など素人では見ることができない場所の説明をしてくれました。

結果「現状、今すぐなにかするべきことはない」ということになりました。

私たちはせっかく来てくれたのに修繕するところがないのは申し訳ないと思ったのですが、リフォーム業者の社長さんは「うちには淡路島にも支店があるので今後、何かあったときはひいきにしてください()」と言ってくれ、気持ちが楽になりました。

 

いざ契約というタイミングでも、事前に担当の幸田さんが売主側の不動産業者さんといろいろやり取をしていただき、契約内容や重要事項も一つ一つ丁寧にわかりやすく説明してくださり。終始安心して契約を終えることができました。

 

 

また物件以外の妻の働き先や、息子の転校手続き、娘の保育所など生活全般のアドバイスを地元NPO法人さんや役所の方と連携をとりアドバイスしていただき、なにもかもスムーズに移住の手続きを終えることができました。

これらすべてを自分たちでやるとかなり大変な労力と時間がかかるはずでした。

もちろんできないことはないでしょうし、実際にやる方もいらっしゃると思います。

しかし特に住居選びは素人では判断できない部分が多く一つ間違えると淡路島移住そのものが大失敗に終わる可能性がありました。

夢と希望に満ちた淡路島の移住生活を安心して送るためにも、少々お金がかかっても、やはりプロにお願いしてよかったと思います。

 

私は最近では農作業も少しずつ慣れてきて、近い将来自分の畑を持つという新たな夢もできました。妻の仕事も職場の人に恵まれ楽しそうです。娘ももうすぐ小学生、お兄ちゃんと同じ学校に行くのを楽しみにしています。

もともと明るかった息子は、毎日のように友達を連れてきては、ゲームをしたり、休耕田を走り回ったりしています。移住者のお子さんも多く、転校生はあまり珍しくないようで、すぐに打ち解けられたみたいです。

 

 

田舎に移住して農業をやりたい方は淡路島が最適だと思います。

淡路島は玉ねぎが有名ですが、その他にもたくさんおいしい野菜が採れます。

そして、それぞれに応じた農業支援制度やシェア農業、週末農業などの新しい取り組みをされている農家さんや企業があり研修制度も充実しています。

『淡路島では餓死できない』()という都市伝説があるぐらい食物が豊富な地域です。

最近では20代、30代、40代の若い農家さんが増えいろいろな取り組みをしています。

 

 

苦労や楽しいことを共有したり一緒に喜びあえる仲間がきっとできるはずです。


大阪府内から淡路島へ週末移住

中山慎吾さん42歳【自営業】 

()さん37歳【CAFÉ経営】 

長男6歳 長女4歳 

大阪と淡路島の週末移住2拠点生活デュアルライフ

 

 

大阪で広告関係の会社を経営しています。

開業6年目で社員は8名、苦労もありましたが、社員や家族の支えもあり順調に業績を上げていきました。

 

そんなある日、妻が相談があると言い出しました。長男が生まれてからも、仕事に明け暮れていた私は子供のことを妻に任せきりにしていたこともあり「まさか離婚!?」と思い。一瞬頭が真っ白になりました()

 

しかし実際に妻が言った言葉は想像をはるかに上回る内容でした。

「長男が小学校に入学する前に、淡路島に移住してCAFÉを開業したい!

私はとっさに「は?なんで淡路島?」と聞き返すのがやっとでした()

 

淡路島には過去に旅行で行っていました。しかし特段親せきや友人が住んでいるとかではなく。妻の唐突な発言に驚くばかりでした。

確かに淡路島は私たち夫婦にとって特別な場所ではありました。

 

私たちは、いわゆるデキ婚で長男が妊娠してすぐに籍を入れ、結婚式は当然、ちゃんとしたプロポーズすらしていませんでした。

私は会社、妻は子育てで日々追われ、少し落ち付いたころに子供たちを両親に預け、2人だけで新婚旅行気分をと淡路島に行きました。

妻は昔からカフェめぐりが大好きで、淡路島でもいろいろなカフェを回りました。

そして妻好みのとてもオシャレなカフェに入ったとき、ちょうど夕日が淡路島の海に沈む瞬間でした。とても幻想的で「今しかない」と思った私は、いまさらながらその場で妻にプロポーズと今までの感謝の気持ちを伝えました。なんて言ったかはあまり覚えていません(笑)が妻は喜んでくれました。

そんな思い出が淡路島にはあります。

 

 

しかし私の会社も軌道に乗り始めた頃で今から家族で淡路島に移住なんてとてもじゃないけど無理だと思いました。

しかし妻がここ数年、子育てでほとんど自分の時間などなく頑張り続けいたのはよくわかっているつもりでした。

独身時代に妻がよく「いつか自分のカフェをオープンしたい」と店に出すメニューなどもいろいろ研究していたことを思い出しました。

妻が子供たちを見てくれているおかげで私は自分の会社、自分の夢を追いかけることができる。しかし妻の夢は?母親だから夢をあきらめる?そんなのはおかしい。今はそんな時代じゃない。しかし現実どうすれば、妻の夢をかなえることができるのか?

 

そんな自問自答をしている時に妻が「大阪と淡路島の2拠点移住いう方法がある」と言い出しました。

私が「え、何それ?」と聞き返すと妻はその日までにひそかに、いろいろ調べていたようで(笑)スラスラと私に説明してくれました。

簡単に話せば、私たちは大阪で賃貸マンションに住んでいました。平日仕事の間は私のみがそこで生活し、末は淡路島で過ごす妻は淡路島でカフェを経営し子供たちは淡路島の学校に通うということのようです。それを名付けて【淡路島週末移住】というそうです!

「私は言葉を失いました」(笑)

 

しかしよくよく考えると、私が仕事から帰宅する時間帯は、早くて21時遅い日などは23時を過ぎることもあり、帰宅しても子供たちが寝ていることが多いことに気づきました。「イヤイヤイヤ!それでも仕事から帰り、こどもの寝顔を見るのは至福の時間」それがなくなるのは父親として寂しすぎる!

しかし妻の夢も大事!私の葛藤は続きました。

その日妻は「無理に決めなくてもいい、でも少し考えてほしい」と話し終え寝室に行きました。

 

 

それから3日間はほとんどまともに寝れなかったです(笑)

しかし私は決めました。妻の言う【淡路島週末移住】を受け入れよう!

 

結婚してからの私の人生は完璧でした!思う存分仕事ができる環境、頼もしい従業員、最愛の子供たち、これらはすべて妻の支えがあってこそ、じゃあ今度は自分が妻の夢を応援しよう!子供たちの寝顔も週末は見れるし(笑)普段会えない分いっぱい一緒に遊ぼう!

それから妻の淡路島でのカフェ開業計画が始動しました。

「まずは物件選びやろ」と私が言うと「実はもうある程度決めてるねん(笑)」と妻

本当に妻の行動力には驚かされます(笑)

 

淡路島移住の思いが芽生えた頃に、大阪の淡路島移住相談窓口であるバリュークリエーションの【IJYU淡路島】さんに相談していたようです。

子供たちが目を離せないので自宅からズームのやり取りで何件か物件の資料も見せていただき説明も受けていたようです(笑)

 

そして次の休みの日に実際に現地へ内見に行くとのことで私も子供たちと同行しました。

妻の物件選びの条件は子供たちの学校や保育所から近く買い物も便でカフェに適した地域というものでした。

 

同じ淡路島でも移住する方それぞれにおすすめの地域があるようで担当の方が各々の地域の特性や注意点を細かく説明してくれました

物件自体もカフェ仕様に改装するためリフォーム業者さんも同行してくれその場で簡単な見積もりを出してくれ他の物件と比較がしやすかったです。

3件ほど物件を見終えた後、淡路島のNPO法人さんを紹介していただき移住後の子育て支援やそのほかの手続き、移住を成功させる秘訣などもアドバイスしていただき、「なにか困ったことがあったらいつでもご相談してください。」ととても親切に対応していただきました。

 

しかし私たち夫婦には一つ大きな心配がありました。

物件の購入にあたり銀行から融資を受けるのですが、果たして審査が通るのかということです。

しかしその点もバリュークリエーションの担当者さんが地元の銀行をご紹介いただき「ぜひ中山さんの夢を応戦させていただきます」と融資を通していただきました。

 

そして無事に売買契約、お店のデザインやパンフレット、WEBイト等はバリュークリエーションさんに紹介していただいた地元のビジネスデザイナーの方と妻が相談し着々と進んでいきました。そして改装工事に入っていき完成するころには、移住に関するすべての手続きが整っていました。

 

いよいよ妻の夢が始まると思うと私までドキドキしてきました。

 

 

それと同時に私の週末移住生活も始まるのですが、いまは心から妻を応援できています。


大阪府内から移住

利川隆さん53歳【農業】 

()聡子さん51歳 

早期退職をして淡路島で農業

 

 

主人が会社を早期退職し淡路島で農業をしたい、と言い出した時は、遂に来たか!と思いました(笑)

昔からよく、テレビを見ていて定年や早期退職を機に田舎で農業をしている家族を見ると羨ましそうに、「いいな~俺もこんな自然の中で農業したいな~」て言ってましたから(笑)

 

もともと農家出身の私は農業の厳しさや大変さをよく知っていたの「農業はそんな甘いものじゃないよ」と夫を諭していました。

そんな夫が夜な夜なインターネットでこっそり農業について調べているのは、移住を決めるずいぶん前から気づいていました(笑)なので実際に移住をすると言い出した時は、そこまで驚きませんでした。

 

夫は仕事一筋で私と2人の息子を養ってくれました。

これといって趣味もありませんでしたが、子供たちが小さい頃はよく釣りやハイキングに出かけ、どちらかというと街より自然で遊ぶほうが多かったです。

そんな家族思いで子煩悩な夫が初めて自分の思いを主張したのが「淡路島に移住して農業をする」ということでした。

2人の息子はそれぞれ独立し神戸と大阪に住んでいます。淡路島までは1時間少々なので、その気になればいつでも会えるそんな理由もあり淡路島を選んだのもありますが、番大きな理由はやはり環境だと思います。

淡路島では古い風習にこだわらず、新しい農業に取り組んでいる農家さんがたくさんいらっしゃるしかも品質や味がとても素晴らしいと夫がよく話していました。

 

しかし農業など全くやったことのない夫が本当にできるのか不安でしかたがありませんでした。

しかも移住するにはもう一つ大きな壁がありました。

それは今住んでいる家の住宅ローンがまだ残っているということです。

残債があるのに家を売却できるのだろうか?

また売却できたとしても価格は?といろいろな疑問が次から次とわいてきました。

 

そこで私たちは慣れないネット検索を駆使していろいろ調べました

すると住宅ローンの残債を銀行や保証会社などの債権者と協議をして債務者にできるだけ有利になるように交渉売却までを行う不動産業者さんがあることを知りました。
大阪のサロン・ド管財という会社でした。任意売却に30年以上の経験と実績があり。

しかもその不動産業者さんは大阪から淡路島への移住を専門に取り扱う事業部があるというのです。

私たちの為にあるような会社だ(笑)と思い、すぐさま相談に伺いました。

 

 

担当の幸田さんは私たちの話を聞き終えると「まずは今のご自宅がどれぐらいの売却価格になるのか査定しましょう」と2日後には専門の業者さんと自宅の調査に来てくださいました。

すると土地の値段も考慮すると、残債ローンを一括返済してもまだ手元に現金が残る額でした。

今までの貯金と夫の退職金、自宅の売却益を合わせると淡路島での物件購入にかなりの余裕が出ることがわかりました。

 

 

後日、幸田さんから淡路島で私たちのニーズに合うおすすめの物件をいくつか用意したので、資料をお持ちしますと、連絡があり。物件の説明を受けているとまさしく私たちの希望通りの農地付き古民家を案内してくださいました。

古民家はそのままで住めるような物件はほとんどなくDIYも素人では非常に難しく後々いろいろな問題やトラブルが出る可能性があると説明を受けていましたので、幸田さんの紹介で淡路島のリフォーム業者さんに同行してもらい建物の状況を確認していただきました。リフォーム業者さんは淡路島の気候や風土を熟知していて修復が必要な個所を事細かく説明してくださり。その場で見積もりを出してくださいました。

金額的にも予算の範囲内でしたが、幸田さんのほうから「一度ゆっくり考えてください」

と言われたので、その場で申し込みは行いませんでした。

 

その後、物件の近くに住む農家さんを紹介してくださいました。

幸田さんは前もってこの日の為に、地元のNPO法人さんに相談して、農家さんを紹介できるように約束を取り付けてくださっていました

私たちはここぞとばかりに農家さんに質問をしまくりました(笑)

やはり農業はそんなに甘くない、でも同時に希望も湧いてきました。

農家さんと意気投合した私たちはなんと晩御飯までご馳走になってしまいました(笑)

大阪に戻り本格的な移住までのスケジュールを練りました。

自宅の売却はサロン・ド管財さんにお任せしているので、あとは夫の仕事と淡路島で実際に農業を始める準備、新居の改修工事などを考えると本格移住までには約半年間という結論に至りました。

 

その間にも何度も淡路島に足を運び、農家さんとさらに親交を深めていきました。

するとどんどん農家さんのお友達を紹介してくださり。伺うたびに新しい友人が増えていきました(笑)

なかには私たちのように都会から移住して農業をしている先輩家族もいらっしゃりとても勇気づけられました!

 

そして無事に大阪の自宅の売却と夫の退社が済み、淡路島への移住の準備が整う頃には引っ越し祝いに駆け付けてくれる淡路島の友人は10名以上になっていました(笑)

 

お正月やお盆には2人の息子も友人や彼女と帰省?(笑)しまるで田舎ができたみたいや(笑)」と言ってくれています。

 

その後も農業の先輩方に指導を受けながら、色々な農作物に挑戦しています。

最近では農業のシェア化という考え方も出来てきて、知識や技術や農地、さらに農耕機具までをグループで共有する仕組みを作り、より移住者さんが農業に参加しやすくなるような取り組みが行われています。

 

 

 

私たちも今後は淡路島のため地元の人々の為、これから移住してこられる人の為になるような取り組みのお手伝いが出来ればと思っています。